「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸優り」。
江戸時代の戯れ歌に唄われた当時の佐原の繁栄ぶりです。
江戸時代、佐原は『街道』と『水運』が交差する要衝であり、
利根川水運と結びついた酒造などの商業活動により、
下利根随一の河港商業都市に発展しました。
また、香取神宮の参道の起点として参詣客を迎える町としても大いに賑わいました。
また町には、旦那衆と呼ばれた商人たちにより自治的な運営が行われ、
「大日本沿海輿地全図」を作った伊能忠敬もその1人で、 経済的発展は地域の文化・学問にも影響を及ぼしました。
日本遺産 北総四都市江戸紀行 構成文化財一覧
スポット一覧
改札をすり抜け、白地で力強く染め抜いた
「佐原駅」という暖簾をくぐった瞬間、
気分は否応にも高まりました。
どんな江戸に出会えるのか。
のんびりゆったり、
地区の要である小野川沿いを歩いてみることにしました。
心がしっとりと潤う町並み
町の中を流れる小野川は、百万都市である江戸へと続く利根川に繋がり、江戸時代、そこで暮らす人たちにとって大切な水運路でした。
その両岸に建ち並ぶ家々は今でも趣があり、一軒一軒足を止めて眺めずにはいられないほど素晴らしい建物ばかりです。
例えば酒屋さん。店を覗けば、時代劇で見るような一斗瓶が店の奥に並び、江戸の昔から変わらず繰り返されたであろう「買ってくれるのは嬉しいけれど、あんまり飲み過ぎたらだめだからね」などという、店とお客さんの粋なやり取りが今にも聞こえてきそうな雰囲気なのです。
酒屋さんだけではありません。町の建物からは、人の営みが様々に折り重なって作り上げた、温かな雰囲気が漂っていました。
そこに今も人々が生きている。暮らしている。
けして華美ではないけれど、町を歩くと、ずっと変わらず続いている人の暮らしが、町の息吹となって訪れた人の心を潤すのです。
時間の流れが緩やかというだけではない、心地のいい湿度が、佐原の町を包んでいました。
舟型タイムマシンに
乗り込めば
佐原に来たなら乗らなきゃダメ!な、舟に乗る事にしました。
訪れた時は冬。舟の上に置かれたコタツが冷えた身体には本当に嬉しくて、いそいそと足を入れると舟はゆっくり動き出しました。
新緑の頃は、柳がさぞかし美しいのだろうな、そんなことを思いながら舟から町並みを眺めます。さっきまで歩いて眺めた風景がなんだか違う表情を見せたのです。目線が変わっただけなのに、この感じはなんだろう。
道路の上では今の時間が流れ、水路の上を進む私たちのところには、300年前と同じ時間が流れている。ゆったりと景色を眺めながら舟に乗っているだけなのに、江戸時代にタイムトリップしているような気持ちになるのです。
こうして当時の人たちは、舟に味噌や醤油、酒を積んで江戸に向かったのか。商いはいつも良いときばかりじゃない。様々よぎる不安を振り払うように、商人は品物を舟に乗せ、小野川から利根川、そして江戸へと運んだのでしょう。
物資を送る中継地として当時は5,000人もの人が暮らしたという、賑やかで活気があった佐原。小野川の舟は、江戸時代と今を繋ぐタイムマシンのようでした。
伊能忠敬は中年の星!
舟着き場の前に、立派な旧宅がありました。
己の足でくまなく海岸線を歩き、日本で初めての地図『大日本沿海輿地全図』を作った江戸時代の商人であり、測量家でもあった伊能忠敬が商いをしたお店です。
敷地の中に入ると、何も思い残す事はないとでも言うような、とても清々しいお顔をした彼の銅像が建っていました。
17歳で婿入りし、紆余曲折を経ながらも伊能家の再興を果たした忠敬は、晩年家業を息子に譲り、50歳にして江戸に出るのです。
50歳と言えば、江戸時代の平均寿命。
その頃に一念発起して天文学を学び、55歳にして彼は蝦夷に旅立ったのです。なんというチャレンジ精神!
自分さえ諦めなければ、やりたい事はいくつからでも出来るのだという生きる勇気を、思いがけず伊能忠敬から貰ったのです。
佐原地区は江戸時代の空気をただ纏っているだけでなく、当時の人たちのチャレンジ精神を静かに伝えてくれる町でした。
ライター:譽田亜紀子(こんだあきこ)
岐阜県生まれ。京都女子大学卒業。奈良県橿原市の観音寺本馬土偶との出会いをきっかけに、各地の遺跡、博物館を訪ね歩き、土偶の研究を重ねている。またテレビやラジオに出演するかたわら、トークイベントなどで、縄文時代や土偶の魅力を伝える活動を行う。著書に『はじめての土偶』(2014年、世界文化社)、『にっぽん全国土偶手帖』(2015年、世界文化社)、『ときめく縄文図鑑』(2016年、山と渓谷社)、『土偶のリアル』(2017年、 山川出版社)、『知られざる縄文ライフ』(2017年、誠文堂新光社)がある。現在、中日新聞水曜日夕刊に『かわいい古代』を連載中。
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船着場はもっとあった話。
小野川の左右の石垣を見てみると、突如石垣のピッチが異なる場所があります。これはかつて荷揚げをするための「だし場」が埋められたものです。昔はたくさんの「だし」があったそうで、当時の賑わいの面影を感じることができます。
大火事でも焼けなかった話。
商業の街というだけあって、小野川を中心とした十字のメインストリートには、江戸風情を残した建物が並びます。多くの建物は明治時代の火事で焼失してしまいましたが、「中村屋商店」は火災を免れ、江戸時代からの貴重な姿が残っています。
香取神宮の旧参道の話。
香取神宮の一の鳥居が利根川に面して立つ津宮鳥居河岸。かつてはここが表参道口でした。そこから道なりに進むと、朱塗りの董橋(ただすばし)があります。古い草履から新しい草履に履きかえるので、通称「草履抜橋(じょんぬきばし)」と呼ばれているそうです。