銚子市
西廣家は紀州から移住し、江戸時代末以降の銚子漁業を支えた船主の1つ。
当時、銚子沖であがった鰹は、「鰹の生腐れ」といわれるように足が速い魚でした。西廣家では鰹節生産を開始し、鮮魚だけではなく、加工品でも江戸の食文化を支えました。
銚子の市街地は、1945年の空襲で焼失しましたが、ここ西廣家には、主屋、江戸末期頃に建てられた納屋2棟、昭和初期の缶詰工場であった建物が残っています。敷地の1部には、明治時代のレンガ塀が回り、江戸末期から今日に至る漁家の屋敷の様相をよく伝えています。
建造物
日本遺産