成田市
光明堂の前方西寄りに建立されているこの額堂は、1861年の建立と伝えられ、建築様式からみてもその頃のものとされています。桁行正面3間、背面が6間で、梁間は2間、屋根は入母屋造で棧瓦葺です。現在は四方が開放されていますが、建立当時は背面が板壁であったようです。額堂としては、虹梁や木鼻など細部に至るまで本格的手法になる建物で、近世における庶民信仰をあらわす建築の代表例の一つです。新勝寺には、このほかにもう一つの額堂がありました。「三枡の額堂」といって、文政年間に七代目の市川團十郎(成田屋)が、壱千両を寄進して建立したものですが、1965年6月18日の夜半に心無き人のために全焼してしまいました。これらの額堂には絵馬類がたくさん掲げられていましたが、そのうちの22点は、千葉県の有形民俗文化財として指定され、保存されています。
建造物
日本遺産