成田市
成田高等学校駐車場の裏山(永興寺境内)に2基の五輪塔があります。小野治郎右衛門忠明とその子忠常(忠明の次男)の墓です。小野治郎右衛門忠明は、房州御子神村(現安房郡丸山町)の生まれなので、御子神(神子上)典膳と称していました。はじめ上総国万喜城主土岐頼春に仕えていましたが、万喜城に巡遊した伊藤一刀斎景久に入門し、ついに一刀流の正統を伝え徳川家康に仕えました。この時家康の命により小野氏を名乗ったようです。小野派一刀流は、柳生流とともに将軍家に採用され隆盛を誇りました。
1617年に寺台の地頭として300石を賜り、1628年12月7日に没しており、2代の忠常は3代将軍家光の指南番となり、小野派一刀流の隆盛に大きく貢献しましたが、1665年12月6日に没しました。そして父子ともに永興寺内に埋葬されました。
文化遺産