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佐倉市

めぐる・たずねる・しる城下町佐倉(JR佐倉駅出発)

城下町として栄えた佐倉は、政治・軍事の面で江戸を支えた佐倉城を中心に、武家屋敷群、古い町並み、祭礼が残っています。また、佐倉を長く治めた堀田家のもと蘭学の先進地としても栄えました。
そんな佐倉の特色のすべてをめぐり、たずね、しることができる贅沢なコースです。

時間:
7時間
距離:
8km
  1. 1JR佐倉駅

    住所
    佐倉市六崎235-2
    URL
  2. 15分12秒

  3. 2佐倉の武家屋敷群

    城下町佐倉の面影を今に残す土塁と生垣の通りに面して、「旧河原家住宅」(千葉県指定文化財)、「旧但馬家住宅」(佐倉市指定文化財)、「旧武居家住宅」(国登録有形文化財)の3棟の武家屋敷が現在公開されています。3棟とも江戸時代後期の建築で、佐倉藩士が暮らしていたものです。
    旧河原家住宅は、市内に残る武家住宅の中で最も古いものとされ、展示された調度品に佐倉の武士の生活様式を垣間見ることができます。年4回特別公開を行っており、旧河原家住宅の建物内に入って見学することができます。通常は建物の外からの公開になっております。 
    旧但馬家住宅は、当時より現在の場所に建っていた武家屋敷で、建物内の見学・休憩ができます。また、年数回、甲冑試着会を行っています。
    旧武居家住宅は、移築にともない出土した武家屋敷関連の資料の展示が見られます。

    住所
    佐倉市宮小路町57番地
    URL
    文化遺産
  4. 17分9秒

  5. 3佐倉城跡

    江戸の東を守る要として、1611年より約7年をかけて徳川家康の従兄弟にあたる土井利勝(老中、後に大老)が築城した平山城です。土塁、空堀、水堀、馬出しを巡らした城構えは、「日本三城の内と言伝る」と当時の記録にも評される堅牢さでした。堀田正亮が1746年に入封以降は、堀田氏の居城として幕府を支えました。1962年に市の史跡に指定されました。現在は佐倉城址公園として整備されており、城跡内には国立歴史民俗博物館も設けられています。

    TEL:(佐倉城址公園管理センター)043-484-0679

  6. 8分56秒

  7. 4国立歴史民俗博物館

    「歴博」の愛称で親しまれている国立歴史民俗博物館は、1983年3月に開館しました。本館は日本の歴史と文化について総合的に研究・展示する歴史民俗博物館で、千葉県佐倉市にある佐倉城址の一角、約13万平方メートルの敷地に延べ床面積約3万5千平方メートルの壮大な規模を有する歴史の殿堂です。 原始・古代から現代に至るまでの歴史と日本人の民俗世界をテーマに、実物資料に加えて精密な複製品や学問的に裏付けられた復元模型などを積極的に取り入れ、日本の歴史と文化についてだれもが容易に理解を深められるよう展示されています。

    住所
    佐倉市城内町 117
    URL
    国立歴史民俗博物館
  8. 17分39秒

  9. 5城下町佐倉の町並み

    江戸へ向かう佐倉道(成田街道)は、城下町をほぼ東西に走り、防衛のためクランク状に屈曲しています。その他の道路・地割もほぼ当時の形状を保ち、旧佐倉順天堂をはじめ、旧平井家住宅、三谷家住宅といった近世から近代の歴史的建造物が現在も残っています。
    【旧平井家住宅】
    旧城下の町人地に位置しています。平井家は、江戸時代後期には、薪炭類を扱う御用商人、明治初期には、新制度の郵便御用取扱い人になり、明治後期から昭和にかけては酒屋を経営しました。酒店を営んでいた2階建の主屋は明治中期の建築で、敷地には1917年築の袖脇蔵や1932年に増築された座敷なども残り、当時の商家建築の意匠や技法が随所に見られます。城址公園、武家屋敷、新町通りの結節点に建ち、地域の歴史的景観に寄与しています。
    【佐藤家住宅】
    旧武家屋敷町のひとつ中尾余町にある武家屋敷になります。間取りは右が接客用部分、左が家族の居住部分に分けられており、接客や家庭内の秩序を重視した武家屋敷の特徴がよく表れています。建物の外観や内部の意匠は良好に残されており、千葉県指定文化財に指定されています。
    【山口家住宅】
    山口家は裏新町通りの北側に位置し、道路に面して東側の店蔵と、西側の袖蔵と2つの蔵が接続して並んでいます。袖蔵の創建は棟札により1896年10月と判明し、店蔵は後の増築と考えられています。袖蔵は意匠に優れており、敷居の傾斜により自動的にしまるくぐり戸があるなど、当時の大工の創意工夫がかいま見られます。
    【石渡家住宅】
    石渡家は旧成田街道に面した明治時代から続く商家です。主屋は「みせ」と「すまい」からなり、「みせ」は1916年、「すまい」は1907年に建てられたことが判明しています。蔵は1905年以前に建てられたと推定されますが、詳しくは不明です。出桁造の「みせ」(外観は一部改装)の東西の壁を漆喰塗にするなど、佐倉の町屋の特徴が残されています。また、蔵は屋根のつうじ棟や軒先に優れた意匠が見られます。
    【三谷家住宅】
    三谷家は旧成田街道に面し、江戸時代からの呉服太物を扱う老舗として佐倉に唯一残っている商家です。袖蔵の創建は棟札により1884年と判明し、主屋もその頃には建っていたと考えられます。また、座敷屋は1935年頃に建てられています。いずれの建物も近代の佐倉における有力商家にふさわしく造形的に優れた建物であり、出桁造の主屋と並んで袖蔵が建つ当時の商家の構えが残されています。

  10. 55秒

  11. 6麻賀多神社

    当社をはじめとして、麻賀多神社は、古来から十八麻賀多とよばれ、佐倉市内や隣接する市内に18社鎮座しています。今から1050年ほど前に完成した政令集「延喜式」神名帳の中にも記載があります。創立の年代は1869年の火災で古文書類が焼失してしまったために不明ですが、江戸時代になると、城地鎮護・佐倉藩総鎮守の神として代々の佐倉藩主・家臣に篤く崇敬され、武具など各種の寄進を受けるとともに、度々造営されました。現在の社殿は1843年、藩主堀田正睦が新たに建て替えたものです。

    住所
    佐倉市鏑木町933-1
    URL
  12. 6分42秒

  13. 7佐倉新町おはやし館

    佐倉囃子の歴史、山車人形、祭礼の様子を展示しています。

    住所
    佐倉市新町185-1
    URL
    佐倉新町おはやし館
  14. 2分54秒

  15. 8堀田正俊・正睦・正倫墓

    佐倉藩主を長く務めた堀田家の菩提寺である甚大寺(じんだいじ)にある墓所。墓所内には、正倫、旧藩士によって建てられた正睦の追遠碑もあり、1936年には浅草から大老堀田正俊の墓も移されており、大老と老中の墓が並んでいます。堀田家が佐倉において地域結合のシンボルであったことを示しています。

    住所
    佐倉市新町78
    URL
  16. 14分9秒

  17. 9佐倉順天堂記念館

    佐倉順天堂は藩主堀田正睦の招きを受けた蘭医佐藤泰然が1843年に開いた蘭医学の塾兼診療所です。西洋医学による治療と同時に医学教育が行われ、佐藤尚中(たかなか)をはじめ明治医学界をリードする人々を輩出しました。
    現在、1858年に建てられた建物の一部が残り、「旧佐倉順天堂」として千葉県の史跡に指定されています。記念館では、当時の順天堂で用いられていた医学書や医療器具などを展示しています。

    住所
    佐倉市本町81番地
    URL
    佐倉順天堂記念館案内
  18. 12分9秒

  19. 10旧堀田家住宅

    最後の佐倉藩主堀田正倫の邸宅で、1890年に竣工しました。伝統的な和風様式で建築されており、現存する明治期の旧大名家の邸宅として数少ない貴重な建造物で、2006年には国の重要文化財に指定されています。
    正倫はここを本邸とし、旧領佐倉のために尽力しました。特に藩校「成徳書院」をもととする佐倉中学校(現在の県立佐倉高校)に多くの支援を行い、父正睦と同じく佐倉の教育の発展に貢献しました。この邸宅・庭園は、広く公開され、旧大名家の気風を今に残し、正倫の業績を偲ぶことができる場所となっています。

    住所
    佐倉市鏑木町274
    URL
  20. 8分27秒

  21. 11旧堀田正倫庭園

    堀田正倫の邸宅、旧堀田邸の庭園であり、当時屈指の庭師であった伊藤彦右衛門によって設計・造園された明治式庭園になります。自然の地形を活かした借景を用いた庭園は「さくら庭園」の愛称で市民に親しまれています。邸宅と共に残る旧大名家の庭園としての貴重性から2015年に国の名勝に指定されました。

    住所
    佐倉市鏑木町274
    URL

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