佐倉市
近世佐倉城には、築城から明治にいたるまで258年間に9家20人の大名が封ぜられましたが、このうち堀田正盛、正信父子の時代と、正亮から最後の藩主正倫までの時代を通算すると141年にわたり堀田氏の統治下にありました。佐倉に大きな影響力を持つことになった堀田家関連の文化財、名跡が今も佐倉には数多く残されており、その功績を辿ることができます。
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最後の佐倉藩主堀田正倫の邸宅で、1890年に竣工しました。伝統的な和風様式で建築されており、現存する明治期の旧大名家の邸宅として数少ない貴重な建造物で、2006年には国の重要文化財に指定されています。
正倫はここを本邸とし、旧領佐倉のために尽力しました。特に藩校「成徳書院」をもととする佐倉中学校(現在の県立佐倉高校)に多くの支援を行い、父正睦と同じく佐倉の教育の発展に貢献しました。この邸宅・庭園は、広く公開され、旧大名家の気風を今に残し、正倫の業績を偲ぶことができる場所となっています。
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堀田正倫の邸宅、旧堀田邸の庭園であり、当時屈指の庭師であった伊藤彦右衛門によって設計・造園された明治式庭園になります。自然の地形を活かした借景を用いた庭園は「さくら庭園」の愛称で市民に親しまれています。邸宅と共に残る旧大名家の庭園としての貴重性から2015年に国の名勝に指定されました。
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佐倉藩主を長く務めた堀田家の菩提寺である甚大寺(じんだいじ)にある墓所。墓所内には、正倫、旧藩士によって建てられた正睦の追遠碑もあり、1936年には浅草から大老堀田正俊の墓も移されており、大老と老中の墓が並んでいます。堀田家が佐倉において地域結合のシンボルであったことを示しています。
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当社をはじめとして、麻賀多神社は、古来から十八麻賀多とよばれ、佐倉市内や隣接する市内に18社鎮座しています。今から1050年ほど前に完成した政令集「延喜式」神名帳の中にも記載があります。創立の年代は1869年の火災で古文書類が焼失してしまったために不明ですが、江戸時代になると、城地鎮護・佐倉藩総鎮守の神として代々の佐倉藩主・家臣に篤く崇敬され、武具など各種の寄進を受けるとともに、度々造営されました。現在の社殿は1843年、藩主堀田正睦が新たに建て替えたものです。