利根川の舟運で江戸の食文化を支えた港町 銚子。
江戸の町を利根川の水害から守るため行われた利根川の東遷事業は、利根川の舟運を発達させ、銚子を起点として江戸に向かう利根川水運ルートは、物資を江戸に運ぶ大動脈となりました。
また商業だけでなく、成田参詣、香取神宮などの「三社詣で」、屏風ケ浦に代表される「銚子の磯巡り」など江戸庶民の小旅行が人気となり、水運ルートによる人々の往来も活性化しました。
江戸時代初期、紀州から移住した崎山治郎右衛門が整備した外川港に始まる銚子の港は、江戸っ子の食文化を支え、銚子の醤油醸造は江戸っ子好みの「関東風の醤油」を生み出し、江戸の食文化を開花させました。
日本遺産 北総四都市江戸紀行 構成文化財一覧
スポット一覧
幕末の頃『利根川図志』という書物が作られました。それは利根川流域の名所旧跡を紹介した今で言う情報誌のようなもの。
江戸時代からそんな書物が出されていたとは驚きですが、そこにはオススメの銚子スポットも記載され、江戸の人にとって恰好のバカンス先だったようです。
鰯を追って、どこまでも
その坂から眺める風景は、本当に、本当に美しく、その街並を整備した崎山治郎右衛門に感謝せずにはいられませんでした。
その街とは、銚子電鉄の終着駅である外川駅から、碁盤の目状に海に面して広がる外川の街のこと。斜面に密集して立ち並ぶ家屋の瓦が、海のキラメキと同じようにキラキラと輝き、海と大地が同じキラメキで混ざり合っている。そこに今も、江戸時代と変わらず漁業を営みながら暮らす人たちがいます。
外川は、崎山が万治元年(1658年)に漁港を築港した際に、計画的に作った街。彼は紀州和歌山の出身でしたが、彼に限らずこの時代、黒潮の流れと共に移動する鰯を追って、紀州の漁師が房総半島などの漁場を開拓したといいます。
紀州の漁師たちは、黒潮の影響で生まれ故郷と環境が似ている銚子が気に入ったのでしょう。この地で漁師として一旗上げた感謝と、この先も外川で生きていくという覚悟が街を作らせたのかもしれません。そしてこの街の活況は、『利根川図志』にも書かれています。
醤油がなくちゃ始まらない!江戸の日本料理
黒潮に乗って銚子にやって来たのは漁師たちだけではありませんでした。
醤油発祥の地といわれる和歌山県湯浅の隣りの広村(現広川町)に暮らした初代濱口儀兵衛が銚子に渡り、醤油作りを始めたのです。これが今や誰もが知るヤマサ醤油の始まりでした。
彼は、外川の街を作った同郷の崎山の成功に刺激を受けて、銚子で商売をやろうと考えたのではないかと言われています。銚子の環境を聞き及び、醤油造りが盛んな湯浅とも環境が似ていることにヒントを得て「銚子で醤油を作って江戸に運べば商売になるのではないか」と思ったのではないでしょうか。
その濱口の読みは大当たりし、銚子は漁業によって新鮮な魚を江戸に供給しただけでなく、醤油の街としても発展し、江戸前の寿司や蕎麦などの食文化を支えたのです。
濱口の商才とチャレンジ精神がなければ、江戸前の食文化の基礎は作られなかったと言ったら言い過ぎでしょうか。
遥か昔に想いを馳せるスイッチ、
屏風ケ浦
『利根川図志』に記載があるのはもちろん、江戸末期の著名な浮世絵師、歌川広重の『六十余州名所図会』にも描かれた屏風ケ浦は、遠くから眺めても、そのスケールの大きさに圧倒されます。
ここは江戸の人々が利根川の水運を利用して船遊びを楽しむ「磯巡り」の終着点。小さな舟に乗り込み、浮かれ気分で遊覧していた人々は、徐々に近づく巨大な崖に驚いたことでしょう。江戸の街に住んでいては、けしてみることが出来ない雄大で荒々しい自然の姿なのですから。
しかし屏風ケ浦はそれだけではありません。荒波で削られ続けたお陰で、その断面は常に美しく、地層の縞模様がはっきりと見て取れるのです。それは柔らかな曲線を描きながら何層にも重なり合い、自然が織りなす絵画を見ているようなのです。広重が絵に描きたくなった気持ちが分かるというもの。
現在はその崖に風車が建ち並んでいますが、それはそれで一種異国の風情を醸し出し、幻想的ですらあります。
『利根川図志』によって広く紹介された銚子の街は、食と心の栄養を江戸庶民に提供した街でした。
ライター:譽田亜紀子(こんだあきこ)
岐阜県生まれ。京都女子大学卒業。奈良県橿原市の観音寺本馬土偶との出会いをきっかけに、各地の遺跡、博物館を訪ね歩き、土偶の研究を重ねている。またテレビやラジオに出演するかたわら、トークイベントなどで、縄文時代や土偶の魅力を伝える活動を行う。著書に『はじめての土偶』(2014年、世界文化社)、『にっぽん全国土偶手帖』(2015年、世界文化社)、『ときめく縄文図鑑』(2016年、山と渓谷社)、『土偶のリアル』(2017年、 山川出版社)、『知られざる縄文ライフ』(2017年、誠文堂新光社)がある。現在、中日新聞水曜日夕刊に『かわいい古代』を連載中。
こちらもいかが? 銚子まち歩きメモ
港町ならではの絶景を神社から。
銚子漁港に近い川口神社は、昔から利根川河口を出入りする漁船主や漁師の信仰が厚い神社です。この神社は二つの鳥居があります。ぜひ利根川近くの一の鳥居から歩いてみよう。長い階段を上って振り返ると、ほのかな潮風の香りの中、川が海へつながっていく様子や、風車、漁船などの風景が広がります。
江戸の食を支えた漁業は今も。
紀州から移住した崎山治郎右衛門が整備した外川港に始まる銚子の港は、江戸っ子の食文化を支えました。その銚子漁業は、今もなお、日本屈指の年間水揚量を誇っています。漁港に行けば、青い海と青い空、白いカモメに鮮やかな漁船に出会えることでしょう。
珍しい白いポスト。
犬吠崎灯台の入口右手側には、とても珍しい白いポストがあります。真っ青な空を背景に、白が映えてとてもきれいです。
また、犬吠崎灯台は初めて日本製のレンガを使用した灯台だそう。99段ある階段で登ることもできます。